歴史好きな人は心惹かれる「城下町」
ここ弘前市も立派な城下町です。
戦時中は空襲もなく当時の街並み、武家屋敷も当時の様子を伝えています。
津軽為信公によって弘前城築城とともに行われた町割り。
町名もほぼ当時のまま使われています。代官町、鍛治町、寺町、百石町など...。
弘前に長い間住んでいますが、その他の“歴史”というものはそんなに知らない。
築城当時の弘前城はどんな所だったのでしょうか。
以前、中三 弘前店内にあるジュンク堂書店の郷土の書籍コーナーで見つけた一冊です。
「突撃!弘前城―もし、弘前城に敵が攻めて来たら!―」知坂 元 著 600円+税
弘前城は、一度も戦に遭うこと事無く 2011年に築城400年を迎えました。
~もし、敵が攻めて来たら。~
一度も戦は起きませんでしたが、ちゃんと準備していました。
どんな作戦を立てていたのか、知っていますか?
弘前城築城当時は、今の北門(亀甲門)が表門でした。
当時は日本海沿岸を通る道(大間越街道)が弘前城へのメインルート。
現在の津軽市方面から道が続き、敵が来たらこの道を通ったかもしれません。
弘前市向外瀬。築城当時からある道を歩く。
「向外瀬村を通り進撃~!」なんて当時の侍気分を味わってみる。
でももし、ここを進撃していたら大変な事になっていましたよ。
ここ向外瀬には弘前藩から選ばれた精鋭
十三人の武士 が潜んでいました。
十三人の武士たちは普段は農民として米を作り
敵が来たら 側面、背後から切りつける。そんな極秘の任務を負っていました。
本当に敵が来ていたら、一本映画が出来そうな話。
弘前城を守る、こんな隠れた存在があったとは知らず興奮!
こんな時は足元に気を付けて歩かないと、何も無い所でつまずいたりする。
足首が変な方向に曲がったりして、そーゆーのって地味に痛かったりします。
向外瀬 諏訪神社
鳥居をくぐると堰が流れています。
これは桜のトンネルで有名な弘前城西堀に続いていて
桜の季節になると水面がピンク色に染まります。
本を読み始めると、知らない事だらけで一気に読み終えました。
そう簡単に弘前城にはたどり着けそうにありません。
まだ、ありとあらゆる罠が仕掛けられています。
現代の のどかな弘前公園の雰囲気とは一転、公園内は侍屋敷がひしめき合い
当時の繁栄を思わせる様子に驚きました。
攻め落とすのは大変そう。
諏訪神社から続く弘前城西堀へ。冬の風景。
一面
ピンク色の春の風景とは また違った趣がありますね。
休憩がてら、弘前城を攻め落とす軍議~ in
スタバ弘前公園前店
(足首が痛い)
始めは北門から攻め入って、全ての攻撃を受け止めてみようと思います。
あなただったら どう攻め落とす?
定休日: